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コラム【企画会議室】

VOL.03 勉強しない若者たち

日本人の学力が下がっている。

学力の国際比較を試みる調査は古くから行われているが、現在に至るまでのこれらの結果を見たとき、日本人としては悲観的にならざるを得ない。

例えば、国際教育到達度評価学会(IEA)が行う小・中学生を対象とした国際比較教育調査、「国際数学・理科教育調査(TIMSS)」。
中学生の数学における日本の順位は、1964年が12ヶ国中2位、1981年が21ヶ国中1位、1995年が41ヶ国中3位、1999年が38ヶ国中5位、2003年のTIMSS2003が46ヶ国中5位となっている。
また、中学生の理科における日本の順位は、1970年が18ヶ国中1位、1983年が26ヶ国中2位、1995年が41ヶ国中3位、1999年が38ヶ国中4位、2003年が46ヶ国中6位となっている。

近年注目されているものでは、OECD(経済開発協力機構)が、OECD加盟国の15歳児を対象に行なっている国際学力PISA(学習到達度調査)テストがある。2000年から実施され、以後3年に1度のサイクルで、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野を対象に行なわれている。
数学的リテラシーでは 2000年→2003年→2006年→2009年の順に1位→6位→10位→9位、科学的リテラシーは2位→2位→6位→5位と大きく下降。もともと不得手であった読解力でも、8位→14位→14位→8位と程度の低さが際立っている。

TIMSSは学校で習う内容の習得度合いを見る「アチーブメント・テスト」、PISAは学校で習った知識や技能の活用能力を見るテスト、という両者の違いを挙げ、PISA、TIMSSの両方で上位に来ているのは韓国、日本くらいの限られた国であるということを、日本の優秀さの例として挙げる向きもあるが、そうであるならば、それほど優秀だった能力を維持できていないということ自体が大きな問題となろう。

このような学力低下の背景には何があるのだろうか。また、学力低下は何をもたらすであろうか。

かつての日本の教育は、日本という国を、世界と肩を並べるにふさわしい強国に作り上げ、支えていく人材を育てるためのものだった。このような思想が、地域を支え、国を支えるという使命感に燃えて学ぶ若者を育てた。また、こういった使命感を背負って学ぶことが本人の成長の原動力となっていた。

戦前であれば、旧制高校という、エリート教育機関があった。旧制高校は卒業者が無試験で上級学校である旧帝国大学にすすめるという機関だが、同年代のわずか0.5%しか進学できないという難関校であり、入学試験ともなればその倍率は10倍前後であった。

入学者は、選ばれたエリートという自覚を持って、青春を謳歌しつつも、日本の将来を担う人材となるべく勉学に励んでいた。彼らの時間割は朝8時、早い学科では7時から始まり、昼食をはさんで夕方まで授業で埋まる。文科・理科の区別関係なく約1/3は外国語の授業。国語や漢文の授業も充実しており、高い言語能力が教育されていた。そして原語で本が読めないということは恥ずべきことと思われていた。国内外で必要とされる知識を幅広く身に付けて、彼らは大学、そして世界へ巣立っていったのだ。

戦後、学制が変わり、どのような大学も高校卒業生が自由に選べるようになると、より高いレベルの大学を目指して高校生たちは必死に勉強するようになる。高いレベルの大学へアクセスしやすい「進学高校」に入学するため、中学生もまた勉強に励む。受験戦争が激化と言われた時代ではあったが、それは戦後日本の復興を目指す時代の体現であり、熾烈な受験戦争を勝ち抜いて大学生はまた、日本の復興と飛躍のために学問にはげんだのである。

それが現在ではどうであろう。
少子化で大学入試のハードルは年々低くなっている。
大学に入ると、高校までの規律ある時間割とは異なり、授業の組み方で登校時間も下校時間も思いのまま、授業の空いた時間は自習どころかバイトやサークルといった、「大学生」とは名ばかりの活動にあてられる。教授の都合による休講も当たり前のようにある。実験や語学実習などで、朝から晩までのタイトな時間割のもと昼夜を問わず勉学に励む学生はほんの一握りなのだ。

そこにはもはや人間を高めるような競争が起こらない。目の前の低いハードルさえクリアしてしまえば安泰、という感覚がはびこり、大きな目標に向かって幾多の困難を乗り越えながら自分を成長させていこうという人間はいなくなってしまったのだ。

2012年の朝日新聞の発表では、現在の日本大学生の平均学習時間は1日4.6時間。この時間から授業を除けば自習時間はもっと少ないだろう。1年生の自主学習時間は半数以上が週5時間以下というデータも示されている。1日1時間ですら自らの勉強時間を持っていないということになる。

「若者が勉強しない」ことの問題点は、単純な国家の知能レベルの低下にあるのではない。国家から、自分の先には達成すべき大きな目標があることに気付き、その目標に向かって血のにじむような努力をし、その過程で大きく発展していく人間がいなくなることにあるのだ。それはすなわち、国力が停滞もしくは後退してしまうことを即意味する。

かつて世界を席巻していた日本の経済や産業だが、ここ数年中国や韓国の後塵を拝している部分が多くなっている。旺盛な国内需要に加え、世界での存在感も高く、日本が独占していた市場での地位を逆転させている。
日本の技術はややマニア化しているともいえ、これまでのような技術力の高さだけで国際社会を渡り歩いていく時代は過ぎ去ったといえる。
今後は、国際市場でいかに日本の技術をアピールするか、自信と戦略をもって世界を渡っていく日本人が求められると言えよう。

未熟で、最も学ばなければいけない時期に勉強せず、自由な時間を生活費や交際費を稼ぐためのバイトに費やす彼らには日本の将来を考える時間も余裕も力ない。
自分の道とこの国の未来を自らの力で切り開いていこうという志を持った人材がおらず、ただ悲観するばかり、あるいは無関心、というのが、日本の若者の現状ではないだろうか。

言うまでもなく、日本を停滞させているのは、ほかならぬ日本国民である。

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