株式会社ゼニス

テキストが入ります。
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豊旗雲に入日差し(2020年10月)

ゼニスでは毎年テーマを決め、和歌・俳句・偉人の名言などにオリジナルの英訳をつけて、写真やイラストとともに毎月のはがきをお送りしています。今年は新型コロナウイルスの影響による社会状況を考慮して、メールにてお届けしています。ちょっと研究の手を休め、季節の移り変わりを感じたり、短い言葉の奥にある情景に思いを馳せたり、様々に楽しんでいただければ幸いです。

今回は名古屋大学名誉教授 三矢保永先生に、天智天皇の豊旗雲の和歌について特別に寄稿いただきました。
三矢先生のご専門は機械工学ですが、山登りと写真がご趣味で、長年、空、雲、光といった自然現象の写真を撮影してこられました。1300年前の和歌に詠まれた空や雲の自然現象は現代科学ではどう説明できるのか、理系学者の視点から万葉集を題材に市民向けの講演も行っていらっしゃいます。豊旗雲の歌に寄せて、三矢先生が実際に撮影された写真もご提供いただきました。


豊旗雲

渡津海(わたつみ)の豊旗雲(とよはたぐも)に入日差し 今夜の月夜清明(あきら)けくこそ

万葉集巻一15天智天皇
注:訓は斉藤茂吉著万葉秀歌(岩波新書)より

この歌は、数ある万葉集の名歌の中でも屈指の名歌といっても異存はないでしょう。王朝の最高権威者である天皇が詠んだ毛並みの良さ(額田王が代作したとの説もありますが、そうだとすればなおさらのこと)、百済救援の西征途上で詠まれたというロマンあふれたドラマチックな時代背景、万葉の歌の特徴である「ますらをぶり」を代表するような荘厳雄大な歌の調べ、多くの国学者・国文学者の探究心を惹きつけて止まない難解な万葉仮名の原文、どれをとっても超一流であり特別の存在感があります。

これまでに多くの国学者・国文学者によって、言語学・文章構造・他の用法との比較・文化風習などに基づいて、原文の万葉仮名の解釈が試みられ、それに依拠して十種を超える読み方(訓)が提唱されてきました。歌の意味も当然のことながら訓によって違いが出てきます。

詠まれた時期は、斉明天皇7年正月(661年1月7 or 8日:ユリウス歴661年2月11 or 12日)、場所は百済救援のため新羅遠征の途上、播磨国印南国原(いなみくにはら)(現在の加古川市・明石市あたり)の津に停泊中で、西に向けて出航を目前とする日に詠んだ、という解釈が通説となっています。この歌の光景は、第一・二・三句によって表され、第四・五句にはそれによって喚起された詠み人の感慨が詠み込まれています。


ところで私事で恐縮ですが、本稿の執筆のきっかけはZENISの嶋田かをり社長より、万葉集のこの歌にふさわしい写真の提供を依頼されたことにあります。私が山登りと、そのついでに山の景色や山で遭遇した珍しい雲の撮影を趣味にしており、さらには万葉集に詠まれている天象現象に関心をもち、あれこれと蘊蓄を披露していたことをご存知だったので、万葉集の雲に関することなら、なにかあるかもしれないと、期待されての依頼だったのでしょう。

この歌にふさわしい写真を選ぶとすると、この歌の光景が詠まれている第一・二・三句から、この場にふさわしい情景を再現することが必要になります。しかし解釈には多くの異論があり、解釈が定まっているとはいえません。そこで最も一般に流布していると思われる万葉秀歌(斎藤茂吉,岩波書店)の訓に基づき、また茂吉が激賞した萬葉の調べを損なうことがないような最近の国文学者の見解も参照しつつ、情景の再現を試みてみたいと思います。

渡津海は海の神様(海神)、旗雲は旗のようにはためく、あるいは棚引く雲、豊は文字通り豊かで大きくて満ち足りている様ですが、神代の国作り・神作り神話では、神様がお作りになった国・宮の名称、および神の系譜を辿る神々の名前の接頭語としてたびたび登場することから、神々しいほどの威厳がある様を表していると解釈できます。記紀神話によれば、海神の長女は豊玉姫で、神武天皇の祖母とされています。旗雲は、旗のように棚引いた雲であり、棚引くというからには、基本的には有限の幅をもった帯状(あるいは吹き流し状)と考えるのが自然です。それが「豊」で修飾されているということは、単一のあるいは少数の帯状の雲だけで、雄大荘厳で神々しいほどの雰囲気を醸し出すことは考えにくいことから、多数の帯状の雲が空一面に群れ広がっているとみるほうが無理がないように思われます。

比較的新しい解釈では、第三句の「入日さす」には特別な意味があるとされています(萬葉,伊藤博1999年11月151号 pp. 1‐20)。すなわち、入日とは、山の稜線あるいは雲山の上縁に沈み込んでいく、あるいは沈みつつある太陽そのものを表すのではなく、「入り隠れつつあり、また入り隠れてしまったある範囲を示すもの」とされ、「隠れる」という態様に、「入日」という言葉の特殊性があるとされています。また「さす」には、「太陽光が烈しく厳しく、対象(ここでは豊旗雲)を刺して放射することをいうと見てよい。太陽光の神秘・荘厳を言い表す霊威の語であった。」と解釈されています。

このような解釈のもとに、もっともこの光景にふさわしいとして選んだ写真をここに掲載させていただきます。

写真(撮影:三矢保永)

ここには、まさに夕陽が遠くの山稜に入り隠れたあとに、放射状の光芒が現れて、後光のように神々しく、またいくつもの吹き流しのように空一面に広がっている雲の雲底を照らし、西方浄土を彷彿とさせる雄大荘厳な夕焼けが出現しているといってもよいのではないでしょうか。

この光景の撮影日は、2009年10月21日、撮影地は八ヶ岳連峰の権現岳頂上(2715m)。この日は一日中ほぼ快晴でした。しかし、いつものように夕焼けの写真を撮影すべく準備にとりかかった頃には、棚引いた雲が幾筋にもなってほぼ並行に並んで、西空を覆い始めました。西方に見える御嶽より遙かに高い中層の雲で、ロール状に塊を形成し、雲底に影ができることから、典型的な高積雲(ひつじ雲)です。(一つひとつの高積雲が幅方向につながって連続的に広がった領域もあり、この場合には高層雲といったほうがよいかもしれません。)

夕日が照らしている間は、高積雲の雲の厚さに阻まれて、上空に夕焼けをみることはなく、遙か西方の地平線にぎりぎりの狭い空が茜色に染まるだけでした。しかし、入日状態(太陽が大棚入山[2375m]の稜線に入って隠れた後)から、壮大な天体のショーが始まりました。以下に、撮影した何枚もの写真から記憶を呼び覚まして、その観察記をまとめてみます。
まず、群れている不透明な高積雲(高積雲群)の西縁の境界に沿って、稲妻が長く走ったように輝く黄金色の光の筋が現れ、日が沈むにしたがってそれまで黒灰色だった雲底にも、薄い茜色の光が届き始めて、次第しだいにその範囲を広げるとともに赤みが強くなり、数分も経つと、雲底全体が茜色の別珍生地のように染まり、群れて棚引いているそれぞれの高積雲の一つひとつの下辺あたりが、幾筋もの黄金色の太い糸の刺繍で線引きされ、あたかも絢爛豪華な緞帳のように変貌しました。高積雲群の西縁は、あいかわらず黄金色に輝き、日入りした山稜の直上あたりには、欄間彫刻に見られる渦巻き状の黄金色の雲が斑になって現れ、その間隔に対応して、放射状の幾筋もの光芒が放たれていました。

この私の観察記は、はからずも、前述した伊藤博氏自身が日野市にある自宅からご覧になった「豊旗雲に入日さし」た、と実感されたときの描写とほぼ一致しています。すなわち、伊藤博著「豊旗雲に入日さし」には、「雲取山方面に入り隠れた太陽(入日)が、雲山の上に棚引く雲や、あちこちに浮き立つ白雲にさし込んで、途方もなく明るく広い夕焼けの別世界が出現し、また上方の雲に向かって往時日本の海軍旗そのままの光線を、数条、放射し続けた」と記述されています。このことから、ここに提示した私の写真は「豊旗雲に入日さし」た光景を再現していると、自画自賛になる分を差し引いたとしても確信することができました。

このような光景を言葉にすれば「海の神が旗のように棚引かせて雄大に広がった雲に、遙か西方に沈んで隠れた陽光が差し込んで、神威を放つほど荘厳な夕焼けが現れている。」と形容してもよいと思います。

この和歌は、斎藤茂吉(万葉秀歌:岩波新書)をして、「壮麗と言うべき大きい自然と、それに参入した作者の気魄と相融合して読者に迫ってくるのであるが、如是壮大雄厳の歌詞というものは、遂に後代には後を絶った。万葉を崇拝して万葉調の歌を作ったものにも耐えて此歌に及ぶものがなかった」といわしめました。

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第四句と第五句の解釈は提示した写真とは直接関係しませんが、この和歌を理解するために簡単に整理しておきましょう。万葉仮名で書かれた原文は「今夜乃月夜 清明己曽」となっています。第四句では「夜」が重複していますが、後の「月夜」は単なる「月」を意味するとの解釈が一般的です。しかし第五句は難読句の代表格であり、これまでに十種を超えるほどの読み方が提唱され、多くの議論が展開されてきました。意味としては、推量と願望(強調願望を含む)に大別されます。個々の解釈については専門書に譲るとして、ここでは入手が比較的容易な解説書より引用した代表的な訓についてのみ紹介するに留めておきます。

  1. 斎藤茂吉(万葉秀歌上,岩波文庫,1938-11)アキラケクコソ.賀茂真淵の訓に倣ったもので,アキラケクコソアラメのアラメを省略した中止法.多分今夜の月は明月であろう.→ 推量
  2. 山岸徳平(萬葉集,研究者学生文庫,1954-6)スミアカリコソ.今夜の月は澄み明るくあってほしい.→ 願望
  3. 中西進(万葉集全訳注原文付一,講談社文庫,1978-8)サヤケカリコソ.今夜の月は清らかであってほしい.→ 願望
  4. 伊藤博(萬葉集釋注一,集英社文庫,2005-9),サヤケクアリコソ.今宵の月世界は,まさしくさわやかであるぞ.→ 強調と願望.
  5. 村田右富実(講談社MOOK,NHK 日めくり万葉集,Vol. 9,2009-8),キヨクテリコソ.今夜の月は清く照り輝いてほしい.→ 願望
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「夕焼けの翌日は晴れ」といわれるように、きれいな夕焼けを見た翌日は晴れることが多いようです。日本の天気は、上空を流れる偏西風の影響を受けて、西から変わることが多く、きれいな夕焼けが見られるということは、日が沈む西方に、陽光を遮るような厚い雲がないということに対応し、したがって翌日の晴天が推測される、と説明されています。掲載している写真を撮影した翌朝も、期待したとおりの快晴でした。

最後に、本稿の執筆の機会を与えていただいたZENIS嶋田かをり社長に感謝いたします。

2020年9月 名古屋大学名誉教授 三矢保永先生より寄稿


いかがでしたでしょうか。
万葉集きっての秀歌にうたわれた豊旗雲とはいったいどんな雲なのか、過去には気象学者の間に「豊旗雲論争」もあったようです。先生もご承知されておられましたが、万葉学者の解釈を重視して、よりふさわしい写真を選定された、と伺っています。今回は高積雲(ひつじ雲)floccus clouds として以下のように英訳しました。

Over the great wide ocean
Rays of the setting sun flood the floccus clouds
Trailing like a glorious banner
May the moonlight be as bright and brilliant tonight


「わだつみの」は海神から転じて大海原の意味なので、そのスケールの大きさを表せるように大海のoceanをさらにgreatとwideで修飾して、音の長さも「わだつみの」に近づけました。入り日が雲に溢れるように射し込む様子はfloodで表しています。
豊旗雲の「豊」は荘厳な、偉大な、輝くばかりに美しい、という意味を込めてglorious、「旗」は最上の、という意味も含むbannerで表現し、「たなびく」はtrailで長く広がる様子を表現しました。
最後の句では、感嘆文で願望を表す仮定法現在を用いて願望と推量を表現しています。月のさやけさはbright and brilliantと頭韻を踏んで表し、moonlight, bright, tonight も脚韻を踏んで音の流れを良くしています。また、asを使って、今のこの荘厳な景色に匹敵する名月となるように、という意味合いを込めた英訳となっています。